会うってうれしい。

引越しで遠くはなれてしまった親子が、サプライズで会いに来てくれました。

三姉妹を連れて電車に乗って。

いま、上手くいっていること。上手くいっていないこと。1時間ほど話したでしょうか?元気がなかった長女のKちゃんの気分転換にわざわざ足をはこんでくれたそうです。すこし、笑顔になったかな?

会うってうれしい。会うってたいせつ。

遠くまでありがとう!

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珈琲とナポリタン

暮らしの中に、ヨガの呼吸法を取り入れたり瞑想するようになってから、気持ちが大きく波を打ったとしても、なるべく自らの気持ちを冷静に分析して、また元の生活に戻ることができるようになっていました。この週末はめずらしくイライラ。相手の言動を流せないという事態に陥り家族と正面衝突。撃沈。だめじゃん、わたし。

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そんな時に力になってくれるMさんは、歩いて5分ぐらいのところに住んでいるママ友。6歳年上の彼女とは子育て通じて知り合い、今ではかけがえのない大切な友人。ある時はメンター。「煮詰まっちゃったよ~」とメールを送ると朝いちばんに電話をくれておうちによんでくれました。美味しい珈琲とゆったりおしゃべり。いつのまにかこころの中のでこぼこがすーっとなめらかになって、元気になった!よし、最後の一押しと言わんばかりに今度は、昔なつかしのナポリタンをふるまってくれました。ちょっと甘くて赤い手作りのナポリタン。「え?はちみつも入れるの?」「いつもは砂糖なんだけどね。赤味が薄いかな?」とか言いながらササッと作ってくれる。あったか~い優しさのこもった味。Mさんは何も特別なことは言わないけれど、アウトプットばかりじゃなくて、インプットもだいじ。こころが弱ることも必要。人のことを思いやるには自らが心身ともに元気じゃないとね。なんだかそんな彼女の声が聞こえた気がしました。こころにたっぷり栄養をもらって、さぁ次は私が家族に美味しいごはんを作る番です。

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食べたいときに食べたいものをちゃちゃっと。

寒い1日。久しぶりにゆっくり家にいる時間ができたので、午前中の時間を使ってパンを焼きました。娘が幼いころはキッチンに並んでこねこねとよくパンを作りました。

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手を動かすことは、人間の脳を活性化させること。ねんど遊びも楽しいですが、食べることができるパン作りは、もっとたのしい!私自身は結婚するまで料理はいっさい興味なし。最低限のことはできましたが、実家には私より料理に向いている人が三人もいたので、人任せでした。そんな私だからこそ、子どもには自ら作り出す喜びを早くから知って欲しかった。食は一生関わること。どうせなら、食べたいときに食べたいものをちゃちゃっとできるようになって欲しかった。

今はお互いいそがしく、一緒に手作りする時間はなかなかとれませんが、私が忙しい時になぞめいた指示を出したとしても(鶏肉と野菜のスープ…とか?)見事に作ってくれる頼もしい存在です。

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ちなみに今日のパンはバターなしのハードなパンと義母がイタリアで買ってきたチョコチップを混ぜたチョコパンの2種類。夫のアイディアで焼きたてのチョコパンのおなかの中にさらにチョコチップを入れたらおいしかったです。添えてあるのはシナモンとクローブのりんご煮。それに野菜スープです。娘には、「はやく帰っておいで~」と、LINEしました。

声のトーンを意識すると?

子ども達と触れ合うときに自然と意識しているのが声のトーンです。

言葉が出ない月齢の赤ちゃんには、わたしの中でいちばん高めのトーンで話します。

言葉が出始めで、はなしたいけれど、言葉にするには時間がかかる…時期の子ども達には比較的ゆっくりと。

更に小学生になれば落ち着いたトーンで話します。

子ども達がどうにも落ち着かないときは、大きな声を出すのでなくむしろこそこそ話しのようにして、注意をむけます。「え?なになに」とのってくるので、かわいいです。

子どもは、たのしいことが大好き!

大人の常識にはめようとせず、言葉遊びをしながら教えてあげると、私達もたのしく子ども達もたのしくいろいろなことが進んでいきます。

日常の中のメリハリは大切。いつもいつもしかってばかりでは、耳が閉じて心に届きません。その子の身に危険なこと。お友だちにとって危険な事については毅然とした態度で目を合わせ、しっかりとしかります。

おうちの中でも参考にしてみてくださいね。

LINE@ @uqc2093n

#ミニマム #暮らし #べビマ  #子育て

 

晴れた日曜日に「海洋天堂」を観ることについて。

ひさしぶりに晴れた週末。昨日はお休みだったので、フローリングを磨いたり、家具を磨いたり…ひとしきりゴシゴシ作業を終えて、少し前に録っておいた映画を観ました。ジェット・リー主演の「海洋天堂」。

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予備知識がなく観たので最初の10分くらいは「重い?」「どうする?」と迷いながら。そして途中から大号泣。晴れた日曜の午後にぴったりの心があらわれる映画でした。

ジェット・リー演じる父親自閉症の息子。一日の大半を父親の職場である水族館で過ごします。息子はまるで海の生き物のように泳ぐのが上手です。父親は末期がん。自らの寿命が僅かで、後に残される息子を心配しています。はじめはいっしょに命を絶つことも考えた父親でしたが、息子を受け入れてくれる施設を探しまわり、漸くみつけた施設へと息子を送り届けます。「私は寂しいのに、息子はなんの感情もないようだ」とつぶやく父親。ところが夕方になり、息子が精神的に不安定になっていると施設から呼び出されます。誰にも体を触れさせず、悲しそうに悔しそうにうなる息子。かけつけた父親をみて涙をみせます。そうです。息子は父親と離れることが平気なわけでなくうまく感情を表現できないだけ。こうして最後の時を共に過ごすことにした親子。父親はひとりで生きる術をひとつひとつ丁寧に教えていきます。バスに乗ること、降りること。服を着替えること。ゆで卵を作ること。そして、泳ぐことがだいすきな息子が父親の存在をいつでも感じることができるように、お父さんは海亀になんだよ。海亀になるんだよ、と教えて逝きます。「生きる」ために親ができること。その親の姿をみてまわりの人たちができること。また1本、わたしにとってたいせつな映画が増えました。

 

最後のことば

今年も残すところ3ヶ月。良くも悪くも、大きな出来事が次々と起こる印象深い1年です。5月。社会人になって、いちばん大きな影響を与えていただいた先生とお別れしました。先日、その先生の娘さんからお誕生日のお祝いにと、LUSHの石鹸やパックなど心のこもったプレゼントをいただきました。亡くなる前、誕生日のお祝いをたいせつにしてほしいと伝えられたそうです。移動途中、電車を待ちながら、カードが添えられていたのを思い出し、中を開けてカードを取り出すと、文末に先生の名前がバッ!!…と飛び込んで来ました。「え?」と思った瞬間。あ、だめだ。涙がこぼれる…と思って、いったん封筒に戻して深呼吸。気持ちを整えてから、もう一度封筒からカードを取り出し先生からの最後のことばを受け取りました。

人とのつながりがたいせつになる仕事だからこそ、たくさん泣いて笑ってぶつかりあった7年でした。これからは先生の娘さんとの縁がつながっていきます。

 

伝えることば

知り合いの女の子。ちいさくても優しさのある良い子に育って、ママが頑張っていることが伝わります。でも、もしかしたら頑張りすぎてないかな~?一緒にあそんでいるときの怒った口調がすこし気になる。
ちいさい子どもたちにとって家庭そのものが彼らの宇宙。パパやママの価値観が当然そのまま反映されます。
話しかけることばがあかるく、たのしいもの。やさしいものであれば幸福なイメージが広がるように、トゲトゲしたり、暗いものであれば不穏なイメージが広がります。女の子のママは、よい悪いを伝えようとした結果だと思うのだけれど…。私たち大人はこの子のように叱られないからね。むしろ年を重ねると叱ってくれる人はいなくなる。だからこそ時に振り返らないと、どんなことばを発しているのかな?この文はトゲトゲしていないでしょうか?
振り返りながら投稿します。

「ぼくにげちゃうよ」は子どもの本の古典と紹介されています。どんなににげてもかあさんはだいすきなぼうやをおいかけます。やさしいかあさんうさぎとぼうやうさぎのお話。

ぼくにげちゃうよ (1976年)

ぼくにげちゃうよ (1976年)

勇気が湧いてくる言葉

わたしの出産は、その準備をしている買い物中、破水からはじまりました。そのまま夫の車で病院へ直行。人生、初の車椅子に乗り、あれよあれよと言う間にベットに横になり…。夫は「まだまだ生まれないそうだから家に帰って荷物を取ってくるよ」と言い残し帰ってしまうし。なんだか急展開にとても心細かったことをおぼえています。大学病院でしたので出産を控えた妊婦さんが10人以上スタンバイしているような部屋で聞こえてくるのは苦しそうな声と、胎児の心音。そんな中、ひとりの助産師さんがわたしのベットの前に立ちました。人生の大仕事を控えた妊婦さんの人柄を知った上でお産をサポートするためだったと記憶しています。どこの病院でもあるのでしょうか?苦しそうな人ならばこのタイミングではムリ!と思ったかもしれませんが、私の場合破水したもののあとはなんの兆候もなかったのでむしろ話し相手ができて助かりました。いろいろな質問を受けた後に「人生でここぞという時に、腹をくくることができるタイプですか?」と聞かれたのです。それまで、あわあわしていた気持ちがその一言です~っと落ち着いて「そうだ!わたしって、腹をくくることができるんだった。」と今の状況を受け入れることができたのです。その助産師さんとの会話がなければ全く違うお産になっていたと思います。大袈裟でなくわたしが人生の岐路に立った時の指針になっている言葉です。「あなたは人生でここぞという時に、腹をくくることができるタイプですか?」わたしにとってものすごく勇気が湧いてくる言葉です。